日記・コラム・つぶやき

2009年11月 7日 (土)

ファウストの劫罰

P1080642(国道16号線の向こう側、塀の向こうが横田基地)

 ただいま東京都福生市に滞在中。 米軍横田基地まで数百メートルのところ。 先日すぐそばで基地に向けたロケット弾が発見されたという空き地もすぐそこだ。

 

 その横田基地で夕方5時になると日本とアメリカの国歌がスピーカーから流れる。 その国歌の前に何か聞いたことがあるメロディー少しの時間流れるのだ。

 行進曲風のリズムのいいメロディーですぐに終わってしまうのだが、よく聞いてみると表題<ファウストの劫罰>の第2部冒頭のファンファーレだった。 原曲はベルリオーズ独特の輝きのある金管楽器の演奏だけれど、こっちのは合成音の安っぽい音になっている。 でも初めて耳にしたときは雑踏の中で昔の知人を見かけたような懐かしさがあった。


 早く家に帰って全曲を聴きたくなってきた。

2009年11月 1日 (日)

隣家の結婚式

Shuei

(目隠しがうまく乗ってくれない)



 先日といっても一ヶ月ほど前に隣家で結婚式があった。 花嫁はひねたおばさんで、年齢は35歳(推定)だがなかなか美形(整形だけど)。 花婿は彼女より10歳くらい年下の若い男の子である。 結婚式は型どおり進行し、牛一頭と豚一頭を料理し、大音響でカラオケをやり、夜遅くまで酔っ払い騒いでいた。

 

 彼女には数年前に結婚したれっきとしたイタリア人のダンナがある。 新築の家を与え、新車を買い与え、田畑を買い与え、月々仕送りをしている。 そして一年に一度か二度、数週間ほどタイに来てすごしていく。

 

 タイ人の男と結婚式をやるので参加してね、と言われたときはてっきりそのイタリア人とは離婚したものと思っていた。 が、話を聞いてみるとイタリア人とは経済的な理由からそのまま結婚生活を続けるのだそうだ。 だからタイ人の男はなんと言うのだろう、男妾(タイ語ではメンダー)とでも言うのだろうか。 「たまにはモッツアレーラのにおいを我慢しなくちゃいけないけど、ふだんはやっぱりナンプラーの匂いのするあれがいいわ。」と言うところかな。

 

 さてこのようなパターンのカップルがこの村でも数組ある。 ダンナは年に数回しか来ないで仕送りだけしてくれる外国人なので、奥様のほうは経済的に余裕があり、時間もたくさんある。 と言うことでこういうことになりやすいわけだ。

 

 たまにはダンナが来るからそういう時はタイ人の夫をどうするのかと言うと

 ダンナのいる期間だけ実家や友達の家に行ってもらう。

 「運転手として雇ったの。」といってそのまま家に住まわせる。

 「家の雑役を頼んでいるの。」といってそのまま家に住まわせる。

 「女と子供しか家にいないので物騒なので親戚のお兄ちゃんに来てもらっている」といってそのまま住まわせる。

 

 もちろんダンナが村に帰ってきても、暗黙の了解で村人は奥様に若い男がいるなどとは誰も言わない。 さてたまにしかタイに来ないでタイ人の奥様がいるあなた、家に帰ったら見慣れない親戚のお兄ちゃんがいたらこのブログを思い出してね。

 

 

2009年10月19日 (月)

おじいちゃん がんばれ!!

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 ムスコとMTBを並べて山に行った。 緩くて長~い坂を上っている途中で、作業の休息をしている10人ほどのおじさんおばさんおにいちゃんお姉さんのそばを通ったらいろんな声援が飛んできた。

 

 そこを通り過ぎてからムスコに

「みんな何て言ってたの?」って聞いたら

「ちびっ子がんばれ。 オジイチャンもがんばれ。」

って言ってたよ。

「う~ 確かに......。」

2009年10月17日 (土)

オイル交換

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 オートバイのオイルを交換した。 前回交換したのは2008年8月で、およそ1年2ヶ月ぶりの交換だったが、その間2100kmしか走っていない。 走行距離3000kmを目安に交換しているのだが、1年以上も経ってオイルも劣化しているだろうから交換だ。

 

 思い返せばこの一年は病とそこから立ち上がる年だったのでオートバイに乗る機会もあまり無かった。 2008年9月のTour Of Thailandが終了したあとで(自分はチームカーを運転していただけど)疲れからかダウン。 しきりにインフルエンザの報道がされていたのでてっきりそれだと思っていた。 12月になると選手が集まりだしてカラ元気が出たものの、2009年1月に入ってとうとう入院手術までしてしまった。 退院後はそろそろと歩くことから初めてなんとかここまで来たけれど、万が一オートバイを倒してしまったら起こせる自信も無く、なんとなく乗らないできてしまった。

 

 今年は雨季の明けが早そうだし、これからはせいぜい乗ることにしよう。

 

 オイル交換後、洗車屋さんにオートバイの洗車を頼んだ。 自分でやると洗車しながらあっちこっち点検できるけど、洗車屋さんは下回りの洗車がうまいし、料金はなにせ30バーツなんでね。

2009年10月15日 (木)

ココナッツ酒

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 ロータスをぶらぶらとうろついていたら、乾燥イースト菌が目に入った。 ふと思ったのはパンを焼くとかピザパイを作ろうかではなく、フルーツジュースにこれを入れたら発酵がどんどん進んで一気に酒になっちゃうんじゃないだろうか、ということだった。

 

 で、さっそくココナッツを2個20バーツで買ってきてジュースを容器に入れた。 牛乳2リッターの空き容器にココナッツ2個のジュースがやく1リットル弱、ここにミネラルたっぷりのサトウキビから作られた砂糖をイースト菌のえさとして加え、イースト菌を小さじ半分ほど入れた。

 

 常温でおくこと15分ほどで容器の中ほどが膨らんできた。 うんうん、発酵している。 ふたのあたりもシュワシュワいってきたので蓋をぎゅっと締めなおす。 そして2時間、何の根拠にも基づかないんだけれど、たぶんアルコール度数が1%くらいにはなっただろうという憶測のもとで冷蔵庫に収めた。 これでちょっと自転車にでも乗ってきて帰って来たころには適度に冷えて、そこをぐっとかキュッとかわかんないけど一気にいけば気持ちだけはリゾート。

 

 さてグラスに氷を入れ、そこに件のココナッツ酒を注ぐと、シュワッと泡が、あれ?出ない。 まあそれはいいとして飲んでみるか。 飲む前のイメージはカルピスソーダにちょっとばっかしジンロでもたらしたようなものだったのだが。 

 

 一口飲んでみると、ウッ、なまぐさ~。 というかあおくさ~。 舌をちょっと刺すような刺激はやはり若干ではあるけれど、炭酸が発生している。 スカッとさわやか~なイメージはガラガラと崩れ去ってしまった。 が、アルコールは確実に発生したようで、生青臭~いのと、そのアルコールで頭がくらくらしてしまった。

 

 次回挑戦するときは、砂糖をもう少し余計に入れ、仕込んだらすぐに冷蔵庫で低温発酵させてみよう、という結論に至った。

2009年10月10日 (土)

私ではありません

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  今日、近所であった結婚式場(といっても自宅だけど)に飾ってあった写真です。 新婦は義兄の連れ合いの従兄弟の...というウチのちょっとした親戚。 新郎はK氏という日本人。 

2009年7月 8日 (水)

ヘビの干物

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 芥川龍之介の小説「羅生門」に下のような一節がある。

 

 現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。

 

 タイは日本と比べたらヘビの種類も多く、我が家がアウトドアライフということもあってよく目にする。 当然、車や自転車で走っていてもよくヘビを見るし、数回に一度は轢いてしまうこともある。 轢かれたヘビが運悪く車の通りの多いところにいるとまた後続の車に轢かれることになり、写真のような姿になってしまう。 こうなると頭と尻尾を取って四寸ばかりずつに切ってしまうと身欠ニシンの切り身と変わりなくなるかもしれない。

2009年5月13日 (水)

兵隊の自宅待機

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 前の投稿で徴兵検査について書いたが、数年前にこんなこともあった。

 

甥っ子(パ・スワイの次男、ウワンの弟)が軍隊に入った。 1年半の年季で行ったはずなのだが半年ほどして帰ってきた。 ピッサヌロークで基礎訓練を受け、チェンライ基地に配属されてからは仕事がほとんどなく、毎日上官のニワトリの世話をしていたのだそうだ。 また夜になると菊のご門のも危なくなる毎日で、軍隊生活から逃げ出したくなったわけだ。

 

 通常の軍隊では徴兵期間が終了しないと除隊できないと決まったものだがそこはタイ、上官に基地を出たいと申告したところ、あっさり許可が出たようだ。 ただし、

 有事が発生し呼び出しがかかったときはすぐ出頭すること

 一応籍はあるので給料が出るのだが、給料は直属の上官に全部上納すること

と言う条件だったそうだ。

 

要するに自宅待機なのだ。 

 

書類上は定員の兵士が基地内にいることになっていてその給料も出ているが、実際はそのうちの何パーセントかはユーレイになっているということだ。 自宅待機の兵士は自分の家の手伝いや、いろんな仕事もできるし、ピンはねしている上官はかなり金回りがよくなるし、両者にとってもやさしくいいシステムだと思う。

 

 写真は自宅待機を喜ぶ親子。

2009年4月25日 (土)

39.9度

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 天気予報では23日から26日までは酷暑になり、スコール、雷、強風に注意とのこと。 きょうのところはまだスコールの気配もなく、ただただ暑い。 2月ごろも暑いときがあったが、湿度がまったく違い、今は湿度が高いせいか座っているだけでTシャツもズボンも汗でびしょびしょになってしまう。 日に何度も水を浴びることになり、そのつど汗にぬれた下着を取り替えるから結構な洗濯ものになってしまう。 自分で洗濯するわけじゃないけど。

 

 昨日(24日)の午後3時ごろ、ひょいとPCのキーボードの横においてある温度計を見たらこの気温だった。 いい風が通り抜けるところなんだけどね。 

 

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 夕方MTBでサイクリングに行くと、村境の橋の下で女の子が下半身を水に浸して涼んでいた。 なかなか風情がありますなあ。 この川は子供たちが集まってよく水遊びをしているところで、ウチの子供も小さいころによく連れて行った。 でも、水遊びから帰ってくるといつも下痢をするので、そのうちに連れて行かなくなった。

 

 女の子に橋の上から声をかけてみたら上を向いてくれた。 ゲッ。

2009年4月18日 (土)

オウジサマ

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 今を去ること6年前の2月27日(27 Feb. 2003)、スコータイ観光をしようと出かけた。 途中のシーサッチャナーライ遺跡を見学し、次のスコータイに向かおうとしたところ、日本人のグループから「スコータイ遺跡公園はクローズ。」と知らされた。 管理事務所で確かめると、ロイヤル・ファミリーのどなたかがスコータイに来るので、と言うことだった。

 

 スコータイ近辺に宿泊を考えていたが、それも難しいかなとピッサヌロークに向かったところ、沿道は100mほどの間隔で警察官が立哨している。 市内へ入るあたりでとうとう交通止めになってしまい、オートバイを停めた。 通行している車両はすべて止められ、オートバイから降りろ、車から降りろ、バスやソンテウからも客が下ろされ、道路に起立させられた。 ヘルメット、帽子、カツラのような被り物はすべてとれとのこと。 しばらくすると、無人と化した道路をベンツが10台くらい、お付の人でも乗っているだろうワンボックス車が20台ほど、猛スピードで突っ走っていった。

 

 スコータイは、タイ国内数箇所ある世界遺産に登録されているものの代表的なところである。 いってみればタイ観光の目玉である。 ここをタツキとして生活している人も多数あって困ったろうし、観光客の多くも戸惑っただろう。 (たぶん、オウジサマはスコータイ遺跡公園には行っていない。)

 

 さてそのロイヤル・ファミリーの一員であるオウジサマが昨日ここトゥーンにやってきた。 写真はその歓迎のしるしの歩道に一定間隔で立てられた旗である。 沿道に並んで歓迎の意を表するようにとは招集がかからなかったので実害は無かった。 このたびの飾り付けをする作業員が20人ほど一週間前から我が家に宿泊して売り上げに協力してくれた。 ありがとう。

 

 明日はアムステル・ゴールドだ。 ユキヤがんばれ。

2009年4月16日 (木)

新入り家族

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 正月(ソンクラーン:タイ新年)の元旦早々ネットがつながらなくなった。 まあいつものことだから少し待てばつながるかなと夕方まで待ってみたがまったくだめ。 キャリア(搬送波)がまったくあがっていない。

 

 さて、そうしているうちに翌日になってもつながらないので少しあせり始めた。 まず、自分のところでチェックできることをやってみようとルーターに対して折り返し試験をしてみる。 コマンドラインから ping 192,168.1.254 (ルーターの IP アドレス)とやるとちゃんとデータを折り返してくる。 ルーターは生きている。 つぎに TEL LINE の途中にあるスプリッターのもう一方に電話機をつなぎ受話器をとってみると発信音が聞こえる。 電話線もつながっている。

 

 ウチはMAXインターネット(TT&T)を使用している。 たまにプチッと切れたり、スピードも遅くなったりするが、対応がかなり改善されて早くなり、24時間OKだ。 さっそく電話をしてウチのルーターまで折り返し試験をするように頼んだらまもなく電話があり、問題ないとのこと。 うん、これはルーター内部のトラブルしか考えられない。 再度MAXに電話をして翌日作業員にきてもらうことにした。

 

 作業員が持ってきたルーターをつなぐとキャリア、データランプの両方がしっかり点灯する。 じゃ、そのルーターをおいていってよ、ということになるよね、普通。 でも、作業員は「営業所に行けば無料で交換するのでそっちに行ってくれ。」とのこと。 ちなみに営業所はチェンライ・ビッグCの2階、レジの向かい側にあります。 「これ(新しいルーター)、一年経ったらまた無料で交換するからね。」と言われながら営業所を出た。

 

 写真は元旦からうちの新入り家族になったヒマラヤ1号と2号。

2009年4月 8日 (水)

徴兵検査(徴兵くじ引き)

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 今日は上のムスコ・オンが徴兵検査にいった。 我が家のあるンガオ地区を含むトゥーン郡内の4地区から50名の兵士を出すのだそうだ。 それに対して21歳過ぎの100数十名の男子が集合した。 そこから身体に不都合のあるもの(極端に貧弱のもの、四肢に支障のあるもの、オカマなど)などをのぞいて130名が残り、そこから抽選で50名が選ばれた。

 

 抽選は赤玉か黒玉を選ぶもので、黒玉が当たり。 ウチのムスコは赤玉をひいた。

 

 4地区で100数十人しか集合していないのは少なすぎると思われるだろう。 高校課程などで週に一回程度の軍事訓練様の授業があり、それにまじめに出ていると単位がもらえてこの検査を免れる。 だからこの検査にきている若者は、軍事教練課程をサボって単位を取らなかったとか、小学校だけで進学しなかったものなどだ。

 

 さてオカマちゃんだが、きれいに化粧し、ミニスカートをつけ、ノースリーブを来た目の覚めるようなのがひとり来ていた。 私を選べるなら選んでみなさい、と挑むような態度だったが、身体検査などが終わってからの抽選会場にはもういなかったから、そこまで行く過程で除外されたのだと思う。 聞けば、女装や化粧、整形手術はOK、お尻を振りながらのオカマウォークもOK、しかしながら豊胸手術をしているものはNG、なのだそうだ。 珍棒については聞き忘れた。

 

 しかし、軍隊生活はオカマちゃんにとっては、女王様になったような気持ちになっちゃうんだろうね。

2009年4月 3日 (金)

梅子

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 今日は梅を手に入れようと山に行った。

 

 昨年(2008年)は4月12日に山に行ったところ、すっかり収穫が終わって一粒も手に入れることができなかった。 そんなことが頭にあったので今年は昨年よりちょっと早めに出かけてみた。 行き先はバン・パタンの中国人村である。

 

 一昨々年の今頃、たまたま自転車の練習に付き合ってこの村の付近を通ったとき、竹篭を背負ったおじさんとすれ違い、そこからエモイワレヌ好い匂いが漂ってきた。 とっさにUターンしてかごの中をのぞかせてもらったらほぼ熟して黄色、オレンジ、赤に色づいた梅であった。 迂闊にもまさかこの南国のタイで梅があるとはまったく思っていなかった。

 

 一昨年はいつも自転車の練習の途中で立ち寄るコーヒー屋の梅園で「好きなだけ採っていっていいよ」、というので遠慮せずたくさんもいできた。 これは梅酒と梅ジュースになりその年末に合宿に来た子供たちに好評だった。

 

 昨年は、一昨年の梅酒のいい出来をイメージしていざ梅採りに行ったのだがまったく手に入らなかったのだ。

 

 さてバン・パタンではまずマントーと豚足の煮込みで腹ごしらえをする。 マントー屋の近所で1kgずつビニール袋に入れた粒の大きい立派な梅を売っていたので値段を聞いてみると30バーツとのことでパス。 コーヒー屋の梅園はまだ時期が早く、あと2週間ほどしないと収穫できないという。 で、もう一軒の梅園を昨年から目星をつけていたので行ってみると、果たしてどんぴしゃりで、その農家に近づいただけで梅の甘酸っぱい香りが漂っていた。

 

1kg10バーツというので70kgほど買ってきた。 サトシ、今度の合宿は期待していいからね。

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2009年3月29日 (日)

モンスーンの吹き始め?

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 村の集会所の前を通りかかったら人だかりがしていたのでちょっと覗いてみると、屋根を葺くスレートを配っていた。

 

 ここ10日間くらいのあいだに短時間だけれども何度か強風が吹きつけていて、一度などはその強風に雷雨が混じり、春の嵐であった。 例年春先にこの強い風が吹くのだが、今年は一ヶ月ほど早い。 東南アジアではこの風が吹くとモンスーン気候になり、雨季が近づき田んぼを起こして田植えの準備に入る。 ここのところ例年より気温が上がらず、モンスーンが早めに来て、やはり温暖化なのだろうか。

 

 ところでこの無料の屋根材の配布は、ここのところの強風で屋根を飛ばされた家庭に配っているもので、各家庭に申告させ、このときの配布となったものだ。 我が家では、雨漏りがあったものの、屋根が吹き飛ばされることはなかった。

2009年3月25日 (水)

ココナッツ落し

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 今日はサイクリングの途中で珍しい光景を見た。 写真の円の中におサルさんが見えるだろうか。 高さ10mほどの椰子の木の上でただいま仕事中です。 両脚でフンと踏ん張り、両手で椰子の実を挟んでクルクル回すと柄のところが千切れてズンと地面に落ちてくる。 椰子の木の下ではヒモを手操るおじさんがホッとかハッとかいろんな掛け声をかけておサルを励ましている。

 

 時々街中をオートバイの荷台に小さい檻に入ったおサルを連れて流しているおじさんがいるけど、これだったんだ。 おサルは足でもうまく枝に掴まっている。 おサルの手形と足形はほとんど同じなんだろうか。

 

 おサルとおじさんはヒモでつながっていて、手繰るほうと手繰られるほう、あなたはどっち。

 

 仕事が終わっておサルが得たご褒美はカボチャであった。

2009年3月21日 (土)

今日はこんなところを走った

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 病院を退院してから自転車に乗ったのは久しぶりだ。 ちょっと胸の痛みが消えないのだが、これは心臓そのものの痛みではなく、真っ二つにされた胸骨がちゃんと繋がっていないのだ、と勝手に解釈して自転車を引っ張り出した。 それでも凹凸の多い道は避けてできるだけいい道を選んで走る。 久しぶりのダートの感触が気持ちいい。 すこし坂を上ってみるが、心拍数は80を出ない。 まあこの程度の運動量ならリハビリの範囲だろう。 

 今日は平均時速10km、走行時間一時間半、走行距離15km。

 

 さてさてミラノ~サンレモが終わりころだ。 カベンディッシュが鼻差で優勝だ。

2009年3月17日 (火)

タバコの花

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 写真はタバコの花だ。 この花が咲くころになると2mくらいの高さになったタバコの茎の、下のほうの葉からいくらか黄色くなってきて、そのいくらか黄色になった葉を手作業で摘み取っていく。 いずれは葉っぱの全部が摘み取られるわけだが、見ていても大変な仕事量だ。 一度に作業が重ならないように、時期をずらしてタバコの苗を植えるらしく、この畑では花が咲いていても、隣の畑のはまだ1mにもならない。

 

 村に一箇所、タバコの集荷所があって、摘み取ったタバコの葉はそこに持ち込まれる。 そこにはレンガ造りの乾燥小屋が数棟あって持ち込まれた葉を乾燥させている。 またそこではビニールハウスも数棟あって、タバコの苗を育てている。 農家はそこから苗を買って畑で育て、摘み取った葉をそこに持ち込むと言うサイクルになっている。

 

 村の人は出荷できない形の悪いタバコの葉を自宅で乾燥させ、刻んで喫煙している。 市場には刻んだタバコとそれを巻く薄紙も売っている。

 

 ウチの同居人も以前はタバコを吸っていたのだが、あるとき子供にチューをしようとして顔を近づけたら、「タバコくちゃいから来ないで。」と言われてその瞬間からぷっつりとタバコをやめてしまった。

2009年3月16日 (月)

類人猿の足跡?

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 歩いていると自転車に乗っているのと違っていろんなものがよく見える。 この足跡も近所の農道を歩いているときに見つけたもので、自転車に乗っていてはなかなか見えないかもしれない。

 

 この足跡、とっても立派な足跡だと思いませんか。 ツチフマズのアーチがしっかりしていて、足指全部も拡がっている。 しかもしっかり大地の土を握るかのようにくっきりとした指の跡だ。 ちゃんと拇指球に体重が乗っている。 これは何代にもわたって畑を耕し、田んぼに稲を植え、山を駆け巡った足だ(裸足で)。 たぶん、生まれてこの方、靴を履いたことがないような人だね、きっと。

 

 ウチの同居人も足の指はモミジの葉っぱのように拡がっている。 「これでも若いときはハイヒールを履いていたんだからね」とのたまうので「えっ、ワラで作ったハイヒールなんてあるの?」と言ったら夕食ぬきだった。

 

 この足跡は長さ22cmくらいだから、子ザルか女ザルかもしれない。

2009年3月15日 (日)

期間限定シングル・トラック

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 村の付近の山には縦横無尽にシングル・トラックがある。 山に作業に行くための道で、普段はほとんど人が通らないのでかなり荒れている。 昨年まではMTBで走っていたのだが、今年はリハビリのためにトレッキングシューズを履いて歩いている。

 

 この道がなぜ期間限定かと言うと、5月ごろから雨が降り始めると草が生い茂り始めて腰ぐらいの高さになり、それが左右から覆いかぶさってどこに道があるのか分からなくなってしまうからだ。 それから周りの木々も葉っぱを繁らせ視界を悪くする。 そんなところをMTBで走ると木の根やごろた石にタイヤを取られたり、腕や足に硬い葉っぱで擦り傷ができてかぶれたり、最悪イバラの藪に突っ込んだりしたら目も当てられない。 でもいちばん怖いのは木の枝にぶら下がっていたり、草むらにトグロを巻いている(毒)ヘビである。

 

 ごらんの通り、この山は2週間ほど前に山焼きにあってまるハダカである。 歩くのだったらどこでも歩くことができる。 しかし、これだけ徹底的に焼かれた山に鳥とかヘビ、小動物の焼死体はまったく見ることがない。 やはり自然に生活する動物たちは危険を察知する能力に長けているんだろうね。

 

2009年3月 3日 (火)

カンコドリの鳴き声は?

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 3月2日の午前8時に一ヶ月検診の予約を入れていたので、前日からチェンマイに行った。

 

 夕食にアヌサーン市場の海鮮料理屋に行ったところ、行く途中のナイト・バザールのメイン通りにはいつもの車とオートバイの混雑が見られず閑散とし、歩道を歩くのもすいすいと歩ける。 写真のようにアヌサーン市場の中も観光客がちらほらといるだけだった。

 

 ホテルはチェンマイ・ラム病院のすぐ隣のスリ・トーキョーに泊まった。 病院とは壁一枚で隣接しているので30秒で行かれる。 中級のホテルのようだがツインの部屋がまあまあ清潔で宿泊料は550バーツだった。 それも宿泊した当日、3月1日からの設定だったらしい。 カウンターの中の宿泊料金表は750バーツのままだったし、受付嬢も「750バーツ、あ、間違い。550バーツ。」と言ってたくらいだから。 それに、朝食のビュッフェが39バーツだ。 この冬のチェンマイのホテルの稼働率が20%くらいとの話も聞いたが、実感。

 

 これは昨年から続く黄シャツと赤シャツの対立による政情不安報道、国際空港閉鎖などの影響によるものと考えられる。 2月に行われたチェンライ・チャレンジのオーガナイザーの笹さんによれば、「公務員、特に自衛官、警察官などのタイへの渡航が規制されていて、ツアーで参加を申し込んだ人のうちだいぶキャンセルがあった。」そうで、他の旅行会社など一般ツアーなどでもさもありなんと思う。

 

 さて一ヶ月検診では順調に回復しているとのことで、車の運転が解禁(オートバイは腕に負担がかかるのでNG)になり、航空機搭乗も解禁になった。 車は早速チェンマイからバンピ村まで運転して帰ってきた。 飛行機は、日本に行くには体力が伴わなくてまだしばらくはNG。 自転車も早く乗りたいのだがやはり前傾姿勢が心臓を圧迫するとのことでもうちょっとの我慢かな。

2009年3月 1日 (日)

術後一ヶ月

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 手術後早いもので一ヶ月が経過した。 最近では何とか自律神経と心臓の折り合いが付いたらしく、60~70の心拍数で落ち着いている。 いつぞやは160拍/分という状況が3時間ほど続いたときと、30拍/分がしばらく続いたときにはこれはどうもやばいなあ、まだ死ぬつもりはさらさらないから遺言状も書いてないしなあ、たぶん死なないだろうと高をくくっていたら、まあ何とか持ち直した。

 

 さて現在服用中の薬は

 1 モデュレチック : 血圧降圧剤

 2 ワーファリン : 血液凝固抑制剤

 3 ラノキシン : 心不全および各種頻脈の予防と治療

 4 トリタセ : 高血圧、心筋梗塞後の心機能低下、循環器病による心筋梗塞、脳出血及び死亡の危険性を低下させる

の4種類で、朝食後の服用となっている。

ワーファリンはヴィタミンKの生産を抑制するのに対し、納豆、クロレラなどはヴィタミンKを大量に生産するので効能が相殺されるため、ワーファリンを飲んでいるあいだは食べるのをひかえなければならない。

 

 それから手術前に、手術後の楽しみとして書いておいたことがふたつある。

1 どれだけ体調が改善されるか

2 手術中に臨死体験ができるか

と言うものだが、2はまったくカスリもしなかった。 いつ麻酔をかけられたのかも分からず、気がついたら翌朝だった。


1の体調に関してはだいぶよくなったと思う。

 階段を上がると息があがり、目の前真っ暗 → 普通の速さならまったく問題ない。

 母屋から事務所まで100mくらいあるが、歩いていくと2、3度立ち止まって休まなければならなかった → 普通の速度で歩ける

 肺に鬱血して嚥下しにくいときがあり、食事のときよくシャックリをしていた → 問題なし

 痰、セキ、ムクミなどの心不全の兆候があった → 全くなし

しかしまだ心拍数をあげるような体の動かし方をしていないので、これから自転車に乗ったり、1時間くらいの歩行をしたときにどうなるかちょっと不安かな。

明日は一ヶ月検診のためバンピ村からチェンマイに行く。

まだ車の運転に自信がないので、250kmの道のりを連れ合いに乗せていってもらうことになるが、これが結構怖い。

 

2009年2月26日 (木)

バンピ村はアウトドア・ライフ

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 PCのモニターを見ている視界の端っこのほうに、何か異様なものが横切った。 壁や天井にはいつもヤモリが這い回っているので、それかなと思ってヒョイと見上げると、なんとヘビが壁と天井のカドをゆっくり移動している。 

 

 このヘビは、図鑑では Golden Tree Snake とあり、家人はタイ語で「オヒョー」と言っていた。 このヘビはよく家の中まで入ってくることがあり、ドアのノブに絡まっていたこともあったし、居間のタイルを這っていたこともある。 いつだったか玄関わきの土間に足をトンと下ろしたら、何かいや~な感じがし、ちょうど足を下ろした先15cmほどのところにこのヘビがカエルのお尻をしっかりくわえていたということもあった。

 

 図鑑ではキケンとは書いていなかったが、家人はアンタラーイ・ミーピット(危ない・すぐ噛む)と言っていた。 しかし、ヤモリみたいなヘビで、垂直の壁もスルスルと移動していた。

 

 すぐ家人に駆除されたことは言うまでもない。 バンピ村での生活は、このように色濃いアウトドア・ライフに彩られているのである。

2009年2月 5日 (木)

退院

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2月3日、朝7時ごろの執刀医による回診時の写真である。 この医師は他の病院と掛け持ちのため朝が早い。 この消毒のあといつもならガーゼを貼り付けるのだがこの日はそれをせず、「今日、退院してもいいよ。」という言葉が出てきた。 一瞬「は?」。 だって手術後実質4.5日くらいしか経過してないし、寝返りだって、起き上がることだってなかなか辛い。 日本ではこの手術の場合は平均一ヶ月の入院だそうだ。

 

だが退院することにした。 この病室で回復を待つのと、家に帰って回復を待つのではちょっと違う。 家は自分のテリトリーだから好きな本、DVD,音楽があるし、何より合宿している子供たちに会いたい。 それに何より付き添っていてくれる連れ合いにちょっと疲れが見えるからここはがんばって帰宅しよう。

2009年2月 1日 (日)

こんなのが心臓から

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 写真は先日の大動脈弁置換手術で取り出された弁で、カルシウムなどが付着してかなり硬化している。 「これでよく生きていた」と医者に言われたし、初診のとき「治療しなければ半年の余命」といわれたことも納得するしかない。 もともと弁の動きがよくなかったので血液が滞留しやすく、こういう状況になることがあるのとのことだった。

 

 今はブタ弁になった。 人体の不思議だね。 溶液はホルマリンなので密封されていた。

2009年1月28日 (水)

さよなら! 納豆君

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納豆君にはずいぶん世話になった。 子供のときは家族と分け合って食べ、長じてはひとつの納豆を一人で食べる幸せも感じた。 ホウレン草のおひたしと混ぜ合わせ、イカの刺身やマグロの刺身とたくさんのネギとワサビを入れて食べるのも好きだった。 無くてはならない人生に不可欠の食べ物であった。

 

ところが弁置換手術後は納豆君との付き合いを禁ずるという。 こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。 納豆君は一生の伴侶だと思っていたのに。

 

タイに来てからは日本から持ってきた納豆菌で納豆作りに挑戦もしたが、ことごとく失敗した。 タイ産大豆、日本産大豆でやってみたり、豆を砕いてみたり、温度計を買ってきて温度管理をしっかりしてみたりしたがだめだった。 まあこれからは自分では食べられないのだからあきらめよう。

 

写真はセントラル・デパートのトップスで買ってきたもしかしたら最後の納豆。 茨城にも住んだことがあるので、個人的にはオカメ納豆が好きだった。

入院中!

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一週間ほど前から心不全の治療のため入院している。 治療は弁置換手術しかないので明日手術する。

 

楽しみが二つ。 

 

一つ目はこの手術をすることによってどれくらい体調が戻るかということだ。 入院直前は100mを歩くこともままならず、寝室に行く階段を上がっては目の前真っ暗になってベッドに倒れこんでたから。

 

二つ目は「臨死体験」。 難しい手術ではないといわれているけれど、一応あっちの世界とこっちの世界の境目の塀の上を歩くわけで、万が一あっち側に落っこちそうになっても、オットットットくらいで帰って来れればこんな貴重な体験もないものだ。 そんな経験ができたら報告します。

2009年1月 5日 (月)

高原キャベツ・ロード

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 国道 1093号線は「高原キャベツ・ロード」と呼ばれている。 かどうかは分からない。 私が勝手につけたからである。 群馬県嬬恋村みたいなところだ。  1093号線はチェンカムからバン・パタンまで約90kmの距離で、タイとラオの国境線にほぼ並行している。 いちばん近いところでは国道から国境線まで 数百メートルしか離れていない。 全長90kmのうち、65kmくらいは標高1300m以上のところを走っている。 バン・パタンに向かって右手はプチ ファを含む峰にむかってのぼりの急斜面、左手はタイ側の谷に下る急斜面である。 その斜面ではあちこちでキャベツの栽培が行われ、通年通して出荷されてい るが、この寒い時期が最も出荷が盛んだ。

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 それにしても石垣でも積むようにきれいに積んで行く。 これが人間だったら下半分は圧死しているね。 秤で重さを量り車に積み込んでいるのは仲買のおじさんで、それを見守るのは生産者の山岳民族の人。 新鮮でおいしそうなキャベツを目の前にして

「キャベツを2,3個分けてくれますか。」

「いいだとも。 金は要らないから何個でも持っていくがええだ。」

「えっ、ほんと。」

「んだども、おれだづはこのキャベツは絶対食わねえだ。 こんな薬漬けぇ食ったらおっ死んでしまうでなも。 おらだづの村では宴会の罰ゲームで負けたやづにこれ食わせるだ。」

という会話を交わして、手ぶらでそこを離れた。


<2008年大晦日:プチファとバン・パタンの中間あたりで>

2009年1月 3日 (土)

2008年大晦日のプチファ&パタン : テント村

P1040977 例年、歳末の時期はプチファにテント村が出現する。 写真は管理事務所から指定されているテントサイトの様子である。 さほどの装備は持ってなく、七輪、薪、ナベなどを持参している。 テントの生地も安物のぺらぺらしたものが多く、それじゃ寒いだろう。 といってもそれでいいのである。 彼、彼女らは遠くバンコックあたりから長駆寒さを体験しに来るのであって、寒さでまったく眠ることができなかった、草が霜で真っ白になっていた、などが土産話になるのである。 そして夜明け前にテントを抜け出し、プチファ山頂に初日の出を拝みに行く。 このときだけはプチファ山頂も通勤電車の車内なみの人口密度になる。

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 数ヶ所の駐車場、キャンプサイトに入りきらない人たちは国道そばの小さい空き地を見つけて車を停め、テントを張る。 よく見ると我が家で合宿中の3選手がのぼっていく。 前からモトイ、文忠、セーヤ。 マントー屋からの帰りで、これから第3を下って帰宅する。

2009年1月 1日 (木)

2008年大晦日のプチファ&パタン : 花盛り

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 昨日の大晦日は山へ行った。 サクラが満開だった。 サクラはだいぶ濃いピンクで雄蕊が長く、付け睫毛でもしているようだ。

 中の写真はマントー屋の向かいにある学校のサクラ。

 下は斜面一面に咲くサクラ。 この斜面はプチファに向かって左側から頂上に向かう登山道路がある斜面で、標高は1400mあたり。

2008年12月31日 (水)

こんなところを

P1040356 このあいだの転倒で、こんなところを擦りむいてしまった。 たいして高くない鼻の頭と、谷になっているはずの上唇と。

 おかげで髭を剃ることができない。 もっとも一週間に一度くらいしか剃らないので、普段は無精ヒゲだけど。

2008年12月29日 (月)

スクーターで転んだ

P1040483_3 <このスクーターで転倒した>
YAMAHA MIO 空冷単気筒110cc
ベルトドライブ










 

 

数日前スクーターで転倒した。

まさかスクーターで転倒するとはまったく考えたこともなかったのでちょっとショックだった。

それになぜ転倒したのかもはっきりせず、ショックが倍増している。

 

カーブを攻めて曲がりきれなかったということでもない。

石を踏みつけたということもない。

道路で寝ている犬を轢いたわけでもない。

道路で餌をついばんでいるニワトリに突っ込まれたわけでもない。

タイではよく舗装道路に穴が開いているが、そこに落ちたわけでもない。

 

要するになぜ転倒したか釈然としないのだ。

道路はまっすぐの舗装道路で、自転車と併走していたので速度は30km/hを少し出た程度かな。

 

突然、柔道の足払いをかけられたように前輪がどこかに行ってしまって、身体が投げ出されてしまった。

実際転倒してしまったわけだからそこには何らかの物理的な方程式が成り立っていると思うのだが、やはり納得できない。

わずかに気になることは、タイヤがもう15千kmほど使っていることと、空気圧が少し高めの3kgほど入っていたことだ。

この転倒がトラウマにならなければいいけど。

 

ところで転倒したとき、通りがかりの人や近所の人がばらばらと出てきて、助け起こしてくれるやら、道路に転がっているスクーターを起こしてくれるやら、「どこか痛いところはないか?」と真剣な表情で聞いてくれるやら。

これがタイである。

 

そして私がスクーターで転倒した8時間ほどのち、義母が亡くなった。

2008年12月27日 (土)

乾季のはずなのに

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<朝霧にかすむ風景>















日本の梅雨もそうだけれど、タイの雨季もだいぶ日にちが経ってみないと「明けた。」ということがなかなかわからない。

2008年、私の住んでいるチェンライ県、トゥーン郡バンピ村では11月8日が最後の雨だった。

それ以来一滴も降っていない。

 

毎年、10月の末には雨季が終わっていたが、今年の雨季は少し長かったようで雨の量も多く、そのため米の収穫量も2割ほど少なかった。

 

このごろは朝方の気温が15度を下回り、川や池などの水面から霧が発生し、街や田畑、山を覆う。

 

ところが今日12月26日は午前1時ごろからぱらぱらと雨が降りだし、日中も雨季のときのようにシトシトと一日中降り続いた。

乾季の最中でもたまに雨が降ることはある。

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